toy coco株式会社

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【取締役インタビュー】DTPデザイナーからエンジニアへ ー 仲間と共に成長するプロダクトマネージャーの挑戦

2024.10.21

取締役インタビュー

toy coco株式会社 / 開発責任者 羽賀 繁男 / Shigeo Haga

他業種からDTPデザイナーとして独立し、個人事業主としてSTUDIO CRUCHを立ち上げる。その後、エンジニアに転向し、産業系システムのデータベース関連を中心に多くの業務システムに携わる。

Web制作専門の法人の立ち上げに参加し取締役に就任。出版、物流、倉庫などのマイグレーションを中心に、多くのWebシステムの構築実装を手がける。

Webエンジニアリング専業の法人(株)CRUCHを設立。アプリケーションの構築、スタートアップやフリーランスへの技術支援、プロジェクトマネージメントなどを行う。

IoT研究開発を行うPAP株式会社の代表取締役CIOに就任。その後、建設DX企業のCTOを務める。

2023年よりtoy coco株式会社にて、プロダクトマネージメントを中心に技術支援を行っている。「運がいい人で溢れる世界に。」という企業理念に共感し、その実現に尽力している。

◆アパレル、デザイン、そしてエンジニアリングの道へー挑戦と成長を重ねたキャリア

―― toy coco株式会社での仕事内容について教えていただけますか?

「ガチャタス」のサービスとアプリを作っており、アプリケーション制作の責任者をしています。技術面でのリーディングや、エンジニアやデザイナーに仕事を依頼する役割も担っていて、つくることに関してはすべて請け負っています。

―― これまでのキャリアについてお聞かせください。

1996年に個人事業主としてエンジニアのキャリアをスタートし、2017年に法人化しました。現在までのエンジニア歴は28年です。それ以前は、新卒から7年間アパレル業界で洋服の販売や企画に携わっていました。

学生時代はデザインや技術職への憧れがあり工業系の高校に進学しましたが、当時は希望する職に就くことが難しく、思い切って全く異なるアパレル業界へ進むことに決めました。ファッション自体が好きだったこともあり、その仕事に関わることはとても楽しく感じていました。

店舗のレイアウトやブランドコンセプトに基づいたショップづくり、ウィンドウディスプレイのデコレーションなどの業務に携わり、百貨店のウィンドウディスプレイを一任されることもあり、大きなやりがいを感じていました。また、当時は折り込み広告や電車の中吊り広告のデザインのアルバイトも行っていましたが、その仕事が次第に増え、本格的にデザインの仕事に転向することを決意しました。

その後、個人事業主として「STUDIO CRUCH」を立ち上げ、現在に至ります。

―― これまでのキャリアの中で、最も大きな挑戦や印象に残ったことはありますか?

いくつかのスタートアップ企業で0から1を生み出す開発に取り組んできましたが、それは非常に大きなチャレンジでした。「こういったサービスを作りたい」というアイデアの段階から形にしていくプロセスでは参考になるお手本がないため、サービスを一から作り上げることは大変でした。しかし、その困難の中にも大きな楽しさがありました。

現在携わっているガチャタスも、まさにそのようなプロジェクトです。どういった形にしていくのかをみんなで話し合いながら進めるプロセスは、一番難しい部分でもあり、最も楽しさを感じる部分でもあります。

◆音楽と共に歩む人生

―― 趣味や特技、好きなことについて教えてください。

バイクや車、音楽鑑賞、楽器演奏が好きです。楽器は主にベース、コントラバス、ウクレレを演奏します。ベースは学生時代に消去法で始めたのですが、結果的に長く続けており今でも楽しんでいます。コントラバスとウクレレは5年前から始めました。また、以前は三線も弾いていたこともあり、沖縄に師匠がいます。知人の誘いでコンガやジャンベといった打楽器を楽しむこともあります。

コントラバスとウクレレを教えていただいている先生とは、5〜6年のお付き合いになります。プロのベーシストの方です。

三線については、かつて師匠のご縁で沖縄民謡のライブに出演させていただいたことがありました。同じ弦楽器でも音階やチューニングの仕方は全く異なりますが、弦楽器には比較的早く馴染むことができました。

取締役インタビュー

ベースを始めたのは中学3年生の時で、当時のバンドブームが影響していました。ギターやドラムのような目立つ楽器はすぐに希望者が決まり、最後に残ったのがベースでした。特に「これをやりたい」という強い希望はなかったのですが、何か楽器をやりたいという気持ちがあったので、自然な流れでベースを選びました。

楽器演奏は、一生の趣味だと思っています。

◆「誰も傷つかないものを作りたい」ーtoy coco株式会社との出会い

―― 代表取締役・髙井 勝之(以下、かっちゃん)との出会いについて教えてください。

別のスタートアッププロジェクトでご一緒したことがきっかけです。toy coco株式会社の取締役の一人、髙井 彰士さん(以下、あきしさん)さんも一緒でした。今ガチャタスに携わっている技術チームのメンバーも、そこから移ってきた人たちが多いです。

かっちゃんの第一印象は、マメに動く方だなと思いました。とても細かい段取りを一手に引き受けていたなという印象です。

―― toy coco株式会社にジョインしたきっかけは何ですか?

これまで産業系の経験が多くエンターテインメントに近いジャンルにあまり経験が無かったため、非常に楽しそうだなと思ったことです。

また、「運がいい人で溢れる世界に。」という理念に共感したこともそうですし、楽しいプロダクトを仲間と作れることに魅力を感じたことも大きな理由ですね。

誰も傷つかないものを作りたいという思いがあり、楽しいものであればリスクが低いのではないかと考えたことも一因です。

これまでスタートアップ企業に関わってきた中で、「自分たちのペルソナだけが喜べば、それで良いのか?」という疑問を抱くことがありました。

私が経験したり見てきた中で、成功しているスタートアップは新しいことに挑戦するケースが多いですが、その結果としてモラル、マナー、法令が追いついていないことがよく見受けられます。自分たちのコンセプトやペルソナに関連する人々が幸せになればそれで良いという建前で動くことが多く、弊害が発生した際にはそれを無視してしまう人が少なくありません。

世の中を良くしたいと思いながらも、自分の守備範囲以外のことは気にかけないという姿勢に対し、果たしてそれはそっぽを向いて良いことなのだろうかと思うことがありました。法令を遵守しているから問題ないというのは確かにそうですが、それが果たして正しいのかという疑問が残ります。自分たちのペルソナが喜べばそれで良いというプロジェクトを作るというのは、やや抵抗があるのです。理想論かもしれませんが、誰も傷つかないプロジェクトを創出したいと思っています。

楽しいプロジェクトでは誰かが犠牲になることが極めて少ないと考えているので、toy coco株式会社のそういったところに惹かれたというのもありますね。代表取締役のかっちゃんの内面的な部分に、自分と似たようなところも感じています。

サービス化に向けた課題も多くありますが、それも含めてこのプロジェクトの魅力だと思っています。

―― ジョインしてから印象的だった出来事はありますか?

スタート時からほぼ全員が気心の知れた人だったため、マネジメントが非常にやりやすかったです。身近な人たちと一緒に仕事をしているというアットホーム感や安心感もありますね。人柄を知っておくことは大切だと思いますし、メンバーが傷つかないようにということは常に心掛けています。

マネジメント職のため、例えば作業の指示や依頼をするときでも、出し損じや「できなかった」ということが起こらないようにしたいと思っています。

「この人はこういう性格をしている」と分かっているからこそ敢えて挑戦してもらうですとか、「ここは守備範囲のところをやってもらおう」と判断することで、みんながスムーズに仕事に取り組めるかが一番大事なところだと思っています。

今回の開発チームはほとんどのメンバーが一緒に仕事をしたことがありました。初めて一緒に仕事をするメンバーも他のメンバーと関係性がある状態だったので、人柄はある程度分かっている状態でした。

ここまで密度の濃い間柄で一緒に仕事をすることが初めてなので、とても仕事がしやすいです。

◆「人に望まれたものと、自分がやりたいと思ったことがマッチしたものが天職」ー運、そして仕事への思い

―― toy cocoのパーパス「運がいい人で溢れる世界に。」に関連して、質問させてください。これまでの人生で運が良いと思ったことはありますか?

独立してから28年仕事を続けてきましたが、当時は現在のようにフリーランスが当たり前という風潮はなく、あまり注目されない時代でした。大企業とのコネクションがあったわけでもありませんが、人とのご縁や仕事に対する評価のおかげで大きな途切れもなく仕事を続けることができています。

仕事ができないためにスキルが上がらず、スキルが上がらないから仕事がこないという悪循環に陥ることも、これまでほとんどありませんでした。一緒に働いてきた方々に感謝していますし、人との繋がりや環境に恵まれてきたことは非常に運が良かったと感じています。

―― 羽賀さんのお人柄によるところが大きいのでしょうね。

どうでしょう。自分で評価しづらいところですが、途中でデザイナーからエンジニアになった際も、市場をみて仕事をスイッチしてたという一方で、望まれて仕事を変えてきたという背景もあります。多分その場にとどまっていたら、仕事が無くなったり食べていくのにも困っていたでしょう。タイミング良く転向できたというのも、やはり運が良いのだなと思いますね。

―― 相手の希望、依頼内容に沿って仕事を変えてきたからこその今があるのですね。

私の中で天職の定義がありまして、人の望まれたものがおそらくその人の天職だと思っています。そのため、「この仕事が天職だ」というように職種はあまり気にしていません。

したがって、途中で変わりもするでしょう。

一生続けていける仕事が天職だという場合、もちろんそれは幸せなことだと思います。

人に望まれたものと自分がやりたいと思ったことがマッチしたものが天職という捉え方が、一番しっくりくるかもしれません。

どちらが欠けてもだめなのだと思います。

―― 仕事をする上で大切にしていることはありますか?

ユーザーの目線でプロダクト開発を行うことと、チーム内で上下関係ではなく仲間関係を大切にすることを重視しています。

ユーザー目線に関しては、私たちのペルソナによって誰かを傷つけたくないという思いからきています。

「ユーザー目線でプロダクトを作りましょう」というのは一般的な考えですが、私たちが気を付けているのは、自分たちのペルソナ以外も傷つけないプロジェクトにするということです。

また、チームにおいては横並びの関係性を保ちたいと考えており、「上司」というイメージを持たれるようなことは避けたいです。そのため、「部下」という呼び方もしません。「一緒に仕事をしている人たち」や「仲間」という表現を使っています。職責をいただいた際「私は上にいる人間ではなく、あなたたちと同じ横の立ち位置にいます。たまたまマネージメントという職に就いているだけです。」とみんなに話しています。上司に気を遣う必要はありませんし、分からないことがあれば気兼ねなく質問してもらいたいです。同僚であって上司ではないからといつも伝えています。

立場上、上司やマネージャーといった見方をされることもありますが、私から相手にそのような印象を与えることは絶対に避けたいと考えています。「あなたの率いるチーム」とされることも望んでいません。あくまでみんなで一緒にやっているチームだと考えています。

情報に関しては、知っている人と知らない人の間で差が生まれないよう基本的には公開しています。状況に応じて情報を選別しチームメンバーに伝えることはありますが、その際は情報の統制を目的とせず、傷つく人が出ないように配慮しています。

人数が多いチームになった際には公開範囲について考えなければならないこともあると思いますが、今のメンバーはコアメンバーであるため、誰が知っていて誰が知らないという必要は全くないと考えています。

―― 将来のビジョンや目標について教えてください。

私はエンジニアとして手を動かす仕事を生涯続けたいと考えています。マネジメントも楽しいですが、常に現場を把握し、新しいことを学び続ける必要性も感じています。日々新たなサービスが登場するため、現場を知らなければ取り残されてしまうのです。ある種の危機感のようなものもありますし、学んでいくという楽しさもあります。

現在も仕事に必要なスキルの勉強を続けており、業務に取り組みながら新たな知識を吸収しています。また、仕事をする上での必要性を感じて法律についても学んでいます。仕事の関係で望まれている側面もありますね。国家資格という初めての分野ですが、その資格を取得することで見える世界があると思っていますし、実際に見て経験してみたいです。

マネジメントの仕事は楽しいと感じており、ものを作る中での一環として捉えています。上司としてコントロールしているという感覚はなく、一緒に作っているサービスの歯車の一つであると考えています。マネジメントはある程度の全てのポジションでの経験が必要で、いわゆるベテランと言われるような年齢になってからでないと難しい職でもあります。私は今マネジメントについて勉強中で、色々なことを吸収しながら取り組む楽しさを感じています。

プログラムを書いたり、設計をしたりすることは手と頭を使うので良い刺激にもなり、年齢を重ねてもボケ防止になるかな?とも思っています。

年齢や経験柄、管理やマネジメントの仕事が増えていますが、エンジニアとしての仕事はずっと続けていきたいです。

※インタビューの内容は2024年10月時点の情報です。